若かりし頃の日記

若かりし頃の日記:私は工学者よりも小説家を目指していた!!
[1964年1月4日]

笠原正雄



 筆をとると今まで考えていたことがかき消えてしまい、さて何を書いていいのやら、全くとまどってしまう。心の中でいろいろ浮かんでくる考えをそのまま文章に表すことはほんとうにむつかしいことだ。自分は小説が好きである。しかもどちらかと云えば読むよりは書くことに興味をおぼえる。
 今読んでいるサマセット・モームの月と六ペンスは自分の書き方とずいぶんちがうけれど彼の藝術に対する考え方は僕の心をはげしくゆさぶる。そしてもうがむしゃらに何か書かねば気がすまなく成るほどに僕の創作本能を刺戟する。つまり僕はサマセット・モームの小説を読むのはそれがおもしろくて、いわゆる忘我の状態にしてくれることを目的としているのではなく、僕の創作本能、あるいは僕の心の中にある芸術の建物をますます魅力あるものとしてくれるから……読むのである。テレビのちょっとした何でもない画面(実際、そんな画面がどんな画面であったか僕自身忘れてしまったが)が同じように僕の創作本能を刺戟してくれる。もし僕が100年ほど前に生れていたら間違いなく小説家になっていただろう。こう思うと現在の自分が何だか歪んだ存在であるように思われる。自分でありながら依然として自分でない自分という感じがする。むろん通信工学も魅力ある学問である。しかし小説の魅力に比べれば殆んど問題にならない。通信工学を一生の仕事とすることは安全ではあるけれど果して自分にとってそれが幸福に結びつくか疑問である。要は僕は自分がたぶんもっとも得意とする小説の分野で自由奔放に筆をふるってみたいと思うのだ。ところで私の小説の題材は果して何人の人々が興味を持ってくれるだろう。
 アメリカ的消費文化、ゴルフ等のデラックスな趣味、エレキ、モンキダンス、これらのいりまじって作っている世界が現在の世界であって、私の小説の中でえがくせかいとはずい分遠いのだ。私が創作本能を刺戟され、つぎからつぎへと心のなかで展開するドラマによいしれているときだけが私がもっとも幸せな瞬間なのかもしれない。アメリカ的消費文化、デラックスなムードは電波に乗って全国のすみずみにまで浸透し、全ての人々が酔っているときに私の心の中で展開された小説を文章にして出版したとしても、本屋のすみっこで眠るだけであろう。例えば幸せとは何か?というふうなことをテーマにして小説を書き出版したとしても何人の人が読んでくれるであろうか。現実の世界にはあまりにもせっち的であり、その日ぐらしであるのに幸わせについてたとえどんなに深く掘り下げた小説を書いてみても誰も相手にはしないであろう。
 たった今、若い生命が交通事故で失われたとしよう。しかし、その五分後にはエレキギターをならした別の若もの達が同じ道を喜々としてスポーツカーで走りきったとしても別に何の不思議もない世界これが現実の世界ではなかろうか。……そしてこんなことが正当になりつつある。
私が小説家としてじゃんじゃん売りたければ今の文化をもっと刺戟するため、無責任をきわめた題材で、無責任をきわめたどぎつい表現で小説を書けばよいであろう。しかしそれはたとえ成功しても如何にもうかったとしても私自身には何の幸わせももたらさないのだ。
だが小説家の存在意義はやはり社会があってこそ成り立つ。孤島で一人小説を書き一人で楽しむ等とは如何に生活が保障されても出来るものではない。小説に興味をもつことは云いかえれば社会に興味をもつことであるからだ。僕のあつかましい方を披露するところである。自分にとって不満の多い現代社会を見つめること、これが僕の心に小説の種をまき、そして今どうしようもないほど大きくなって近いうちに出版しようと思っている。しかしその小説は現代生活にあまりにそぐわないものが多い。にもかかわらず多くの人々が僕の小説を読んでくれることを望んでいるのである。それによって僕は小説家としての満足感を味わってみたいのである。
 人生について考え、心ある人と話をしたいのだ。しかしこれはあまりにもあつかましく、またこんなことを期待したのでは筆が力みすぎる。しかもたとえ自分の小説が沢山の人々によって読まれなくてもそれが一体どうと云うのだろう?自分の書いたものに何処かの少女が感激し、青年が共感し、少年が勇気を得るならばどんなに生甲斐のあることであろうか。週刊雑誌を読みふけり、レジャーを追い求める連中が私の小説に一切かん心をもたなくても、これは当然と云うべきであろう。若い希望にみちた世代が私の小説に共鳴してくれれば、私の小説家としての満足は至上なのである。

(原文のまま掲載しております
平成30年1月22日)