ミニ原発事故?

歴史に学ぶ.この姿勢が、今求められています!!

出し平ダム事故の概要そして背景です.
すさまじい事故です.

--背景--

 1980年代、全国の至るところにあるダムで土砂が堆積し、大きな問題となりました。水深が浅くなって貯水能力が低下し、水をためるというダム本来の役割が果せなくなりました。

この結果

  • 集中豪雨に弱くなりました。
  • 飲料水等への供給能力が低下しました。
  • 川砂が浜辺に運ばれず、砂浜が衰退。
    白砂青松の景観が失われていきました。
  • しかし水の落差は変らなかったので発電事業には必ずしも影響はありませんでした。
     ダム堆積問題があまり取り上げられなかった一つの大きな理由だったでしょう。

--1985年--

 下流に土砂を排出させる新型ダムとして、黒部川上流に「出し平ダム」が建設され、ダムの “救世主” として大きな期待が寄せられました。清流黒部川に、出し平ダムが誕生したのです。

しかし、僅か6年後

--1991年--

 予想を超える大量の落ち葉そして、(考慮外であったのではと思われる)水温20℃という高さによってダム湖に大量のヘドロが発生し、霞ヶ関ビル4杯分のヘドロの始末が大きな問題となりました。“救世主” は僅か6年後に、 “ヘドロ発生ダム” になってしまったのです。

その解決策は?

--解決策、その効果は?--

 清流黒部川にヘドロを放出することが決定されました。1991年12月、津波を思わせる黒褐色の大量のヘドロが、出し平ダムから三日三晩にわたって放出され続けました。清流黒部の景観を大きく損なうとともに富山湾全体も茶褐色に染まりました(茶褐色に染まった富山湾の模様は当時新聞(私の記憶する限り少なくとも毎日新聞)等でカラー写真で大きく報じられました)。ワカメ栽培、漁業に大きな被害がもたらされたのです。

--急遽中止に--

 ワカメ栽培、漁業へのこれ以上の被害を憂慮して、ヘドロ放出を一たん中止しようということになりました。

その4年後

--1995年7月--

 出し平ダム上流を記録的な集中豪雨が襲いました。この結果、ダム湖のヘドロを含んだ大量の汚水がダムから一気に溢れ出て、下流に押し寄せ、大洪水の惨状(さんじょう)となりました。発電所宿舎が水没し、所員救出のため、ヘリコプターによる懸命の救助作業が展開される始末でした。
 富山湾でのワカメ栽培、漁業に再び大きな被害が出たのです。

それから12年の歳月が経ちました。

--2007年3月--

 裁判所から原因裁定の嘱託(しょくたく)を受けた公害等調整委員会の裁定主文を要約しましょう。

  • ワカメの生育環境の悪化は認められる
  • 刺し網漁業への影響は認められない

(ちょうせい第49号より抜粋)

--上記公害等調査委員会の
委員長さん談話のキーワード--

 以下のキーワードが綴られています。

  • 計画的集中審理
  • 委員・専門委員による現地調査
  • ダイバーによる底質の調査
  • 長年この海域で潜水調査を行ってきた研究者へ調査と分析を委嘱
  • 各学界の権威である専門委員らの高レベルの科学的因果関係の究明

(ちょうせい第49号より抜粋)

--悔まれること そして、今、心配すること--

 公害等調査委員会の委員長先生のおっしゃるように、専門家によって、高度の科学を駆使したハイレベルの調査分析が行われたようです。かなりのコストがかかったことでしょう。 悔まれることはこのコストに比べ遥かに低いコストで、ダム建設前に

  • 当該(とうがい)河川域での落ち葉の流量、全国類似のダム湖の湖底の水温を測定する
  • 全国類似の場所に建設されているダムのヘドロの状況を調査する

等々ができたでしょう。

 各学界の権威ある専門家に調査を依頼しなくても、黒部川流域での漁業従事者の皆さんあるいは近くの高校、大学のクラブの学生さんにボランティアベースでやっていただくことができたでしょう。

 全国到るところにあるダム湖の現状をアンケートでたずねることもできたでしょう。

 “自然” というものを知らなさすぎたために、結果が出てから数百倍、数千倍の費用を払って調査しているのではありませんか。
 そして今回の福島原発事故でも同じことが繰り返されているのではありませんか。
ダムと原発とは異なるとはいえ、たった十数年前という比較的最近の過去の歴史にどうして学ばなかったのでしょう。

 福島原発事故も20年、30年後にはすっかり忘れてしまい、地震や津波だけではなく別な形でもあらわれ得る天災あるいは人災に備える姿勢も “コスト” という制約のもとにすっかり影を潜めてしまい、同じことを繰り返すのではありませんか。

--そんなことはない!! 今回の原発事故の経験を生かし、
全身全力で将来に備える! と主張される方々へのお願いです--

 全くのしろうと意見で申し訳ないですが、津波の予想6m、あるいは12mの議論は自然を知らなさすぎる姿勢、つまり技術を優位とし、この技術によって津波という自然を従わせるという姿勢ではありませんか。この姿勢はフランクリン先生のおっしゃる “自然に従うこと” を忘れた姿勢ではありませんか。

 しろうと意見で申し訳ないですが、対策として、例えば以下を考えてみましょう。

  • 原子力発電所の原子炉、プール等にとって血流たる電流を送る心臓部(電源)そして冷却水を守るために、地震に対し、比較的安全とされる地下壕(ごう)を作り、その中に数ヶ月~1年の使用に耐える電源装置、燃料、冷却水プールを複数個設置する。
  • 血管としての電源ケーブルそして給水管は何本かが切断され得ることを想定し、クモの巣のように高度の多重化を行って、安全に原子力発電所心臓部に電流そして冷却水を送り込む。

今回の福島原子力発電所事故による莫(ばく)大な被害、すなわち

  • 幼少年世代への健康被害
  • 除染費用
  • 放射能汚染地を逃れて仮り住まいをされている方々、そして
    移転を余儀なくされたあるいはされている方々への賠償
  • 農業、漁業、林業等々への放射能汚染被害と賠償
  • 農業、漁業、林業、観光業等々への風評被害と賠償
  • 私達国民全てが受けた大きな精神的苦痛
  • 何よりも、福島原発事故直後、作業に献身的に従事された多数の方々の健康被害は大丈夫でしょうか

等々の総コストは恐らく数兆円~数十兆円の規模になるでしょう。これに対し、上記地下壕の建設費用は数兆円~数十兆円の1%つまり数百億円から数千億円程度で可能ではないでしょうか。

--残念ながらこの私の意見は相手にされないでしょう。
この理由は以下のように明白です--

“東南海大地震、関東東海大地震がマグニチュード9~10で襲った場合に備え、上記地下壕あるいはこれの類似の施設を海岸線近くに設置されている全ての原子力発電所に今すぐ設置しましょう” と提言しても

  • コストが高くつき、経営が圧迫される
  • 福島原発事故を教訓にそれなりに対応策を考えている

というコメントが返ってくるだけでしょう。

--最大の問題は技術哲学が欠如(けつじょ)していることでしょう--

“Nature obeyed and conquered”
という金言に熟知(じゅくち)し、この言葉に従って行動していた人の数は我が国においてどのくらいだったのでしょう。この姿勢を欠く限り、如何なる事故対応策も、将来必ず馬脚(ばきゃく)をあらわすでしょう。これは歴史が教えている教訓です。

 技術、行政、政治の世界に生きる方々に十分な “技術哲学” の心が備わっているでしょうか。私はそうあってほしいと心の底から願います。

 しかし、もちろんここでいう “技術哲学” とは大学で「技術哲学」の単位を修得しているとか、「技術哲学」に関するさまざまな知識を丸暗記的に身についていることではないと思います。こういった丸暗記的知識は百害あって一利なしでしょう。

 ではどういうことでしょうか。再び歴史に学んでみましょう。

 古代ローマの詩人ウェルギリウスは、自然に人工的な手が加えられることを深く嘆いた歌を沢山に詠んでいます。例えば『農耕詩』、『牧歌』の中で、

  • “未知の海をオールでかき乱し”
  • “海の精を小船でおびやかし”
  • “大地が鋤(すき)に、葡萄(ぶどう)が鎌(かま)に苦しめられる”

などと詠(よ)んでいます。

 私は山間(やまあい)の湖に静かに浮かぶボートに心を癒(いや)されることがあります。海に浮かぶ真白な帆船の姿。その姿は私にとって “詩” そのものです。しかし同じ景色もウェルギリウスは “オールが静かな湖面をかき乱し、真白な帆船が海の精をおびやかす” と嘆くことでしょう。

 技術万能の世界に生きる私達は知らず知らずのうちに技術を過信し、自然の存在が小さく小さくなっていき、いつの間にか、技術が主、自然は従となってしまっているのではないでしょうか。

 その結果、自然からは地球温暖化、そして今回の原子力発電所事故のような形で答が返ってくるのではありませんか。

 こういったことを考えると、常に自然に対し畏敬(いけい)の念をもって接すること、この姿勢こそが “技術哲学” “技術倫理” の本丸であることに気づくでしょう。地球に生れ、地球に生きる私達は、自然を第一に考える姿勢を持たねばならないと思います。この姿勢が備わってこそ安全に技術を手にすることができるでしょう。

 この心がけがなければ如何に高レベルの科学的配慮が、安全確保のために、万全の態勢で施されていると主張されたとしても、自然に従うことを忘れてしまった技術は、所詮(しょせん)、赤子が手にするピストルのように危うい存在になるでしょう。

技術倫理の本質とは

技術倫理とは以下のことを意味します。

 “技術と社会は連帯する”

 つまり技術を受け入れ、その“光”の部分の恩恵に俗する社会は、技術に必然的に伴う“影”に対して、連帯責任を断固としてとるということなのです。

--付記1-- 福島原発事故への警告の一つが10年前に出されていた

笠原正雄著『情報の道、人の道』(2001年3月中央職業能力開発協会出版)より引用

以下に紹介させていただく記事のちょうど10年後の3月、人々のいう “想定外、予想以上” の津波が原子力発電所を襲ったのです。

第六節 我が国は技術に如何に対処してきたか(拙著『情報技術の人間学』より引用)

6.1 はじめに、6.3以降(略)
6.2 私の目にとまった一つの出来事、そして反省
(以下、2001年の私の記事そのままです)

“例えば、余りたくさんの人が気付かなかったかもしれないけれど、数年前、新聞、テレビで報じられた富山・出し平ダムの土砂堆積(たいせき)問題は、私には、深く考えさせられる出来事であった。電源開発に伴う黒部川開発によってもたらされる自然破壊から河川を守るためにつくられたダムに、ヘドロが予想以上の速度で堆積したのだ。下流域が危険となり、清流、黒部川にヘドロを放出したのであったが、その被害は甚大で、黒部川、そして富山湾も茶褐色に染まり、景観を大きく損なうとともに漁業にも大きな被害がもたらされたのである。

出し平ダムの問題は、NHK「クローズアップ現代」や新聞で、当時、取り上げられた。開発に携わった技術者の談話として「落葉が予想以上に多かった」、「水温が予想以上に高かった」等々、全ての原因は予想外のことであるとして語られていたが、私はただ溜息をつくばかりで言葉を失ってしまう。自然を徹底的に知ることもなく、予想だけでつき進む愚かさ、そして哲学や科学の抜け落ちた技術の落とし穴の大きさと被害の大きさを私達は経験したのであった。

この出し平ダムの例が示すように、自然の奥深さを知ることもなく、開発のメスをつぎつぎに入れる技術者をあざ笑うように自然はいつも仕返しをする。我国固有の山河の自然を深く調べることもなく、水温も予想、落ち葉の量も予想と、予想だけで進む技術者の姿。私達は反省しなければならない。

自然に対する技術的支配の思想を確立したともいうべきフランシス・ベーコンが、前述の “自然は服従することによってのみ征服される” という名言を残したことは技術史の世界では広く知られている。ベーコンの言う “自然に服従すること” もなく、つまり、自然を徹底的に知り、学ぶこともなく、しかも技術者の側から一方的に自然を征服しようとする我国の伝統的な姿勢を、ベーコンの言葉は強く警告するものとして受け止めねばならない。 今からでも、決して遅くないと思う。”

--付記2-- 情報技術に気づかぬ影あり

技術はこれに向う私達の姿勢によって光ともなり、また影ともなります。その影は交通技術のように人を傷つける悲惨な大事故となり、またエネルギー技術は福島第一原発事故のように、異常に高い放射線量、あるいは出し平ダム事故におけるヘドロ放出事故のように目に見える形であらわれます。

では情報技術はどうでしょうか。情報技術はエネルギー依存社会からの脱却(だっきゃく)を可能とし、地球温暖化、自然環境破壊をくいとめる “救世主” としての役割を果すことが強く期待されています。情報技術にはクリーンな技術として大きな期待が寄せられているのです。このことこそが情報技術の光の部分なのです。
しかし残念なことに情報技術に立ち向う私達の姿勢によってその影が、想像を絶するほど巨大なものとなって、目に見えない形で確かに私達を包み込んで存在しています!

情報技術においてはその影が真に腹蔵された形で存在しているだけに、最も手強い影をともなった技術と考えることができるでしょう。
情報技術の影は、この技術に立ち向う私達の姿勢が100%その原因となって引き起こされるということを、繰り返し、繰り返し主張しておきましょう。つまり
 “情報技術にきづかぬ影あり”
なのです。
赤ちゃんの育児環境に忍び寄る情報技術の大きな影が存在しています。誰もが気づかないうちに私達をすっぽり包み込んでいる大きな影。この厄介な影については、是非、本HPの『赤ちゃんの人権宣言』をお読みいただきたく、お願い致します。

--付記3--

本稿の記事は1995年11月5日(木)午後9時30分~10時にNHKより放映された以下の番組:
『クローズアップ現代:ダムにたまった土砂を流せ~清流 黒部川の試練~』
を参考にしています。